「蒔かぬ種は生えぬ」
昔、二人の兄弟がいた。
家は貧しく、兄は何とかして金持ちに成りたいと思い、
神棚を祀り、朝から晩まで「福を与えて下さい」と祈願していた。
そして田を耕すのは弟に任せ、自分は専ら祈り事をする毎日であった。
天神はそれを見て、弟に化けて兄の所に行った。
兄は弟を見て怒り「田を耕そうとせず、何故ここに来たのか!」と言うと
弟は「兄さんは、いつでも神前で昼も夜も祈願して、金持ちに成ろうと望んでいます。
私も兄さんに倣って斎戒して、種を蒔かずに米が獲れるようにと祈願したいのです。」
と答えた。兄は「馬鹿な事を言うな!種を蒔かずに米が実るものか!」と叱った。
すると弟は元の神の姿に還って兄に言った。
「今、お前が言った事を、そのままお前に言い返してやろう。
いくら祈っても、自分で辛苦という種を蒔き、精進の力で耕さなければ、福徳は得られるものではないぞ。」

夢ばかり見て、その実現の為に努力しない人、また欲心ばかり増長させる人は、種を蒔かずに収穫を望むようなものである。



恥ずかしい話、身近にその様な人がいる。現時点では「いた」(過去形)
一日中、仕事もせず半ば「ニートのプチ引き篭もり」のような生活をしながら、
人から「仏壇のお掃除のご利益」の話を聞き、毎日仏壇を掃除するようになった。
交通事故で、右半身が麻痺し半身不随になった人が、知り合いの方から
「リハビリだと思って、お仏壇のお掃除を毎日してみたら?」と言われ、
ご利益などあるはず無いだろうと思いながらも、取敢えずやる事もないし、勤めにも出る事が出来ないし・・・暫く言われたとおりにお掃除を続けていたらしい。

ある日、いつもの様にお掃除をしていると・・・
動かない右半身に、ビリビリビリ!!と電気が流れたような感覚と同時に、
少しづつだが、動くようになり、今では健常者と言ってよい状態になった。


そんな話を聞いたから、掃除をするようになったのだが・・・
「ただ掃除すれば良い」と思っていたのか?
ご本尊の台座は右に向き、ご本尊自身は左、その冠は右向きという、だらしなさ。

半身不随の方が、リハビリ代わりに仏壇のお掃除をするのと、意味が違う。
その人にとっては、出来る限りの努力だったろう。
健常者が掃除する何倍も、辛く苦しい思いをして、掃除していたのだろう。

今はその身近な人も、生活する為に働かざるを得ない環境に、身をおいているはず。
精進の力で耕しているだろうか・・・

そういう環境に追い込んだ私に、感謝してくれる日は来るんだろうか?
私がその人の為に蒔いた種が、花を咲かせ実を結ぶ日は来るんだろうか?
「心の中の毒」
私たちの周りには身体に悪い毒のようなものがたくさんあります。
食品添加物や空気中に混ざっていて知らないうちに身体に吸収し蓄積され徐々に悪影響が出てきます。

心の中の毒は生まれながらにして毒の種を植えています。
心の毒は仏教で言う「貧瞋痴」の三毒です。
「貪りの心」、「怒りの心」、「愚痴の心」。
これらが心の中の毒です。

これらの毒は外から心に入ってきた事を栄養源とし、瞬間に反応し心の中に毒が広がります。
その毒の栄養源は外から入ってきますが、それを毒にしてしまうのは、あなた次第です。
執着心や好き嫌い、自分の思い通りにしたい事が多い人ほど心の毒の量が多いのではないでしょうか?
貧瞋痴の仕組みを理解し体得できれば、毒から開放された自由な心で人生を過ごせるのではないでしょうか?
白隠禅師曰く
「良しも悪しきもよそより来ぬぞ 迷うわが身の心より」


同じ親から生まれ、同じように育てられたのに、兄弟それぞれ考え方、感じ方が違います。
執着する物、好き嫌い、人生観…怒りが爆発する発火点も違います。

前世から、引き続き持っている心の毒の量が違うのかもしれませんね…